臆病なライオン達

宇宙視点の変わり者のブログ。自然、健康、メンタルを中心に書きます。

お風呂中に地震が来たらどうするのか?に遭遇した

大きな地震のとき、くだらない疑問が浮かぶことがある。

「お風呂入ってるときに地震が来たらどうするんだろう」ってこと。

全裸で逃げるのか?

どうするのか?

不謹慎ながら1度は疑問に思ったことがあるだろう。

その答えは実際に体験して知りました。

実際の行動と感情から今後の教訓までを書きます。

 

 

お風呂中に震度5弱でも身体を洗い続けた

震度5弱地震に全裸で見舞われた。

揺れた瞬間に思ったことは2つ。

1つ目は「嘘だろ!?」

2つ目は「揺れが小さいまま収まってくれ」

 

自分がお風呂に入っている時に地震が起きるとはこれっぽっちも思っていなかった。

だからいざ地震が起きても身を守ることを一切していない。

ただ揺れが収まるのを身体を洗いながら待つだけ。(なぜか洗っていた)

我ながらお粗末すぎる。


激しい怒りに襲われる

問題はその後。

急いで風呂を上がると妊娠後期の嫁が大きな揺れに驚いていました。

私はというと大激怒。

嫁にではありません。

地球にです。


地球ふざけんな

余談ですが私だいちゃろうは地球大好きです。

前世は山だと本気で思ってます。

そのだいちゃろうが初めて地球に対して怒りを覚えました。

大噴火です。(前世が山だとしたら(笑))

 

お風呂のタイミングってのはしょうがない。

運が悪かった。

かといって震度5弱の中、妊娠している嫁を一人にしていいわけがない。

棚が嫁に倒れたらどうする?

家が崩れたらどうする?

不安で赤ちゃんに影響があったらどうする?

 

だいちゃろうはどうすることもできなかったよ。

全裸は無力だ。

ってなるとやっぱり地球だろ!

 

おい地球!ふざけんな!

嫁にもしものことがあったらどうする。

嫁のお父さんは言うだろうよ。

「だんなは何してたんだ?」って。

「全裸でした。えへ。」なんて言えねえよ!

 

全裸のときはイカンよ。

何もできないからね。

それでも守らないとイカンか?

守るものが多すぎないか?

 

まとめ

「自分だけは大丈夫。」

「まさか起こるわけがない。」

この言葉を見て思い当たるふしが誰にでもあると思います。

 

準備をしましょうとまではいいません。

もし最悪の状況に立たされた時、自分だったらどうするのか?

どう動いて何をするのか?

だけでも考えておくことをおすすめします。

 

何も考えていないとだいちゃろうのように震度5弱の地震が来ても身体を洗い続けるハメになってしまいますから。

 

では。

 

ミッキー1回忌

12年連れ添ったヨークシャーテリアのミッキーが2017年に旅立った。

1回忌を迎えた2018年。

不思議な経験をしたのでブログに残したいと思います。

 

 

 

ミッキーが旅立つ前後の日を振り返る。

2017年7月9日(日) ミッキーの弱弱しい言葉が聞こえた。

ミッキーは腎臓を悪くして病院へ通っていた。

初めは薬だけだったけど食が細くなってから水分を皮下注射。

その注射をすると背中に水分300ミリ分のコブができて痛々しかったのを覚えてる。

だから家まで10分ほどミッキーを抱っこして帰ったっけ。

 

ミッキーは実家で暮らしていたので最後に会ったのは旅立つ2日前。

普通に歩くことさえできなくなっていた。

 

ふとした瞬間にミッキーが母の足元にへたり込んだ。

へたり込んだミッキーを見て「もうだめだ。」と言っているように私は感じてこみ上げる涙を必死にこらえた。

今思うとその時感じたミッキーの言葉は間違っていなかったとわかる。

 

まさか2日後に旅立つとは思わなかったのでいつも通り「またくるね。」と言って私は実家を後にした。

 

7月10日(月) ミッキー入院。

この日、具合が悪くなったようで病院に入院させたと母から連絡がきた。

私は仕事だったので次の日の午後に様子を見に行くことに。

 

7月11日(火) 病院が開くまでがんばったミッキー。

9時すぎに母から電話がかかってくる。

その時点で電話に出るのが怖い。

なぜなら病院が9時からだから。

イヤな予感しかしない。

恐る恐る電話に出た。

 

母は号泣していた。

やっぱり・・・何も聞かなくてもわかる。

ミッキーだ。

 

病院の人いわく、朝は息があったけど30分後に見たら旅立っていたと。

私は電話しながら号泣した。

妻もいたがそんなことは関係ない。

泣けるだけ泣いた。

声なのかうなり声なのかわからない音を吐きながら泣いた。

 

とにかく悲しかった。

悲しみと同じくらい後悔した。

もっといっしょにいればよかった。

もっと散歩してあげたかった。

前日に会いに行ってあげればよかった。

これでもかと自分を責めた。

 

2日前にミッキーから感じた「もうだめだ。」という感覚。

その感覚が本当ならミッキーは旅立つ時を病院が開く9時までがんばっていたことになる。

家族の誰かが来るのを朝まで必死に待ったんだ。

でも来たのは病院の人。

がっかりしてそれ以上はもたなかったんだろう。

 

なぜわかるか?

そんな気がするから。

ミッキーとは言葉では話はしてないけど話せたから。

 

ごめんねミッキー。

最後に一緒にいてあげられなかったよ。

 

行き場のない後悔と悔しさしか残らなかった。

 

実家に帰って冷たく横たわるミッキーを見ても悲しくはなかった。

泣きつくしたこともある。

でも私は知っていた。

 

命は一旦幕を閉じるが、また幕が開く。

時計が1周するようにミッキーは1周しただけ。

すぐに新しい1周が始まる。

 

自分に対しては後悔とか責める気持ちがあるけどミッキーに対しては今までの感謝と新しい船出を祝福する気持ちだ。

ミッキーは次の旅へ出発した。

だから旅立ったミッキーを見て初めて言った言葉はいつも通り「ただいま」だった。

 

7月12日(水)火葬~最後のお別れ。

せめてもと思ったのと懺悔の意味も込めて会社は無理に休ませてもらった。会社の人には深く頭を下げて感謝を述べた。

この日に火葬をするということでそれまではミッキーからひと時も離れなかった。

前日の夜から火葬をするまで。

 

寝るときは昔みたいに一緒に寝た。

あまり寝れなかったから思い出話をたくさんした。

後悔してることも話して謝った。

一晩中きれいな身体を撫で続けた。

朝は大好きだったひなたぼっこもさせてあげた。

最後の散歩もした。全部抱えてたけどね。

ありがとうをたくさん伝えた。

 

火葬は思い出の品を入れてあげた。

さいころから大好きだったおもちゃとずっと使い続けたリード。

それとミッキーがよく安心して寝てた私のジャージの上着も。

 

 最後のお別れとなると私はもちろんのこと、一緒に来ていた両親と妻もミッキーに声をかけながら泣いた。

きっと向こうでもおもちゃで遊んで散歩して疲れたらジャージの上で寝るだろう。

そう思うと笑顔になりながら泣いた。

 

ミッキーが灰になる間、私はずっと煙を見続けた。

見続けないといけないような気がしたから。

散歩の初めの10秒ダッシュのように煙はどんどん上へ上へと昇って消えた。

 煙が上がり続けている間がミッキーとの本当のお別れだ。

これでもかというくらいミッキーに感謝を送った。

 

その横で何も言わずにただただ居続けてくれた妻。

感謝しかない。

 

火葬をする前の晩、ミッキーに誓ったことが3つある。

自分の時間を全て自分の意志で使えるようになること。

ミッキーが息を引き取る瞬間一緒にいられなかったことを後悔している。

仕事が悪いんじゃない。

自分の時間をコントロールできない仕事をしている自分が悪い。

だから自分でコントロールできる仕事をする。

実現するには独立しかない。

2018年7月現在まだ実現していない。

 

自然療法の確立。

私の中には「病気は不自然のサイン。不調は自然に任せる。」という考えがある。

にもかかわらず、ミッキーを病院に連れて行ってしまった。

病院は西洋医学

目の前の穴をふさぐ医学。

個人的には不自然さを感じるので好きではない。

 

私の知識不足。経験不足だ。

 

今日が最後の日だと思って全力で生きる。

とにかく後悔だらけ。

ということは、やらなかったということ。

なぜやらなかったか?

また明日がある。いつかやればいいというぬるま湯根性で生きてきた。

その1つの結果がミッキーに対する後悔だ。

 

もうこんな気持ちになるのはイヤだ。

後悔なんかしたくない。

明日自分がベッドから永遠に目覚めないかもしれない。

だから今日全力で生きるんだ。

 

って誓った。

でも1か月もしたら忘れていつものぬるい毎日を過ごしてるんだ。

ホントに自分はクソだと思った。

ミッキーが3つも大きなプレゼントをくれたのに気づいたら忘れてる。

オレくそったれだよ。

 

そう言いながら来月には忘れるのがオレ。

忘れる前提で忘れない方法考えたよ。

3つのプレゼントを文字にしよう。

それを見えるところに置く。

玄関、車、作業机に。

 

2018年7月11日 1周忌

この1年間はよく泣きました。

もうあれから1年が経つ。

私は毎月11日に実家に必ず帰った。

何をするわけでもないけどお線香をあげて写真に向けて声をかける。

 

母との会話はミッキーの思い出話。

そのたび2人で泣いていた。

 

半年あたりから涙が少なくなった。

だからといってミッキーを忘れたわけじゃない。

分骨してもらったキーホルダー式のカプセルと一緒に毎日眠りについている。

母がいないときはここぞとばかりにミッキーの写真を片手に泣いた。

 

ただいまーっと言ってもカチャカチャ忙しく爪の音がしないことにも慣れた。

がらんとした部屋にも慣れた。

でも実家に帰るといつもミッキーがそばにいる気がする。

錯覚でもいいんだ。いる気がするだけでもずいぶん救われる。

 

2018年7月11日(水) ミッキーと散歩へ。

この日は仕事を終えて実家に帰った。

すぐお線香をあげていつものように写真に話しかける。

ipadに入れたミッキーの全ての写真を母と一緒に見た。

子供のころから最後の写真まで。

思い出話をしては泣いた。

あの頃はこうしてた。あの頃はこうしてたと話しては泣いた。

 

思い出話に盛り上がりすぎたのか時間は7時前。

あたりはすっかり暗くなったしまった。

しかし私はこの日にどうしてもやりたかったことがあった。

それは散歩だ。

 

散歩で号泣。

ミッキーのお骨と一緒にいつものコースを散歩したかった。

一番ミッキーが喜ぶことだからだ。

ミッキーと散歩してくると言うと母は号泣。

散歩に行くときに使っていた手さげバッグに骨壺を入れて抱える形で散歩をした。

 

 出発して100メートルの電柱でおしっこ。

そこから100メートルでまたおしっこ。

そこを曲がると公園。

ミッキーは草むらが大好きで必ず草に吸い寄せられるように歩く。

公園を抜けた辺りでうんちをする。

曲がり角を曲がるとなぜか道路の向こう側に行きたがるから右左見てから渡る。

すぐのポストは他のわんちゃんのおしっこだらけで汚いから近づこうとするミッキーをよく引っぱった。

ゴミ捨て場でなかなか動かないミッキー。

 

散歩も折り返しについたころ、手が疲れたので骨壺を胸に抱えるようにした。

散歩中もミッキーに話しかけながら歩いていた。

すると胸に抱えた骨壺が温かくなった。

気のせいと言われるだろう。

そうじゃない。

 

散歩に行くときや車に乗せるときにミッキーを抱えたあの感覚がそのまま蘇ったのだ。

ミッキーを抱いている感覚と気持ちそのまんま。

私はその場で泣き崩れた。

仕事帰りの人やマラソンランナーが通る中、声を出して泣いた。

 

確かにミッキーがいたんだ。

ミッキーを感じたんだ。

頭ではわかってる。

でも確かにミッキーがいた。

 

この不思議な経験は忘れちゃいけない。

 

また11日に帰るからね。

大好きだよミッキー。

 

「がんばる」と「無理をする」の違いは「出来ること」か「出来ないこと」か

「がんばる」と「無理をする」の違いわかりますか?

どっちもがんばってるようなイメージですが、ふと違いが気になったので調べて考えました。

がんばるのが辛い。

つい無理をしてしまうという人に少しでも違いを理解してもらえたら幸いです。

 

 

がんばっているのに周りから見たら無理をしている

私だいちゃろうは無理をする人なので「がんばる」と「無理をする」の違いがわかりません。

 

例えば、重いものを持つ時。

かなり重いんだけどがんばって持つと周りにいる誰かが必ず言います。

「無理すんなよ」って。

 

自分ではがんばってるだけ

ただがんばってるだけです。

重くなかったらがんばってもいないし無理もしない。

重いからがんばるんです。

 

周りから見ると無理をしている

「無理するな=できないことはやるな」ってことですね。

本人のできる範囲を超えてると判断したときに無理してると感じるんです。

 

無理をし続けると無理じゃない範囲が広くなるけどどうなの?

よくわからないのがこれ。

無理をし続けるとそのうち無理ではなくなってきます。

できなかったことができるようになって、できる範囲が広がります。

 

重いものの続きを例にします。

重さ60キロの石を5メートル運ぶとします。

初めは顔を真っ赤にしながら1分かけて運びます。明らかに無理をして運んでいます。

これを1週間続けたら5秒は縮むと思います。

更に1か月続けたら顔色変えず40秒で運べるようになるでしょう。

 

2段飛ばしはリスク

このケースは単に慣れて上達しただけなのでしょうか。

無理し続けました。

そしたら上達しました。

無理することってダメなこと?

 

確かに無理をして体を壊したり物を壊したり事故は起きやすい。

だからよくないんでしょうね。

 

一段ずつ登ればいいとこ、2段飛ばしで登ろうとするから危険でよくないと。

成長するけどリスクがあるということです。

 

出来ることか出来ないことか

グーグルで検索して意味を調べました。

がんばるとは、「自分の意思を通す」「努力する」

無理をするとは、「道理に合わないことをする」「実現が難しいことをする」

こんなことが出てきます。

 

だいちゃろう的に言い換えました。

出来ることを努力することが「がんばる」

出来ないことをすることが「無理をする」

 

まとめ

自分では出来ると思っているのでどれも「がんばる」という感覚。

でも周りからしたら誰がどこまでできるかわからないからこの人はここまで出来そう。

って予測してそれを超えそうなときこの人無理してるなと感じるんだろう。

 

自分と周りの認識のズレで「無理するな」と言われてしまう。

それはしょうがないので自分でどこまでできるのか。

ここからは無理だけどここまでは出来るという境界線を自分でハッキリ認識することが大切です。

 

では。

 

うつで引きこもってから社会復帰するまで

 今だから言えますが引きこもりしてました。

5年間。

してました。ってことで、過去形です。

 

引きこもる理由は人それぞれですがだいちゃろうはうつが原因です。

うつになってから社会復帰するまでを簡単に書きました。

だいちゃろうの経験が誰かの力になれば幸いです。

 

 

 引きこもり期

25歳~ ただ生きてるだけ

 だいちゃろうは25歳の時にうつになって5年間実家に引きこもりました。

昼前に起きて朝か昼かわからないご飯食べて昼寝して夕飯食べて寝る。

ただ生きてるだけの生活です。

 

30にもなって引きこもりはイヤだった

30歳手前でふと思いました。

「30にもなって引きこもりとかダサいな。いつまでこんなことしてるんだろう。」

同時に30代で引きこもりの自分をイメージ。

そんなダッサイ自分は絶対イヤだった。

何が何でも引きこもりなんてやめてやろうと思った。

 

上昇期

思い切ってバイトと自己啓発

 とはいえどうすればいいかもわからず人との接触が少なめのバイトをすることに。

自分の中ではリハビリです。

 

と同時に読んでいたメルマガで見かけた自己啓発に思い切って参加しました。

今思うとホント思い切ったことをしたと思う。

社会復帰するのに藁をもつかむ思いだったからできたんだ。

 

 

更に総合格闘技を始める

 さらに加速します。

ある事情で家族を危険から守る必要がでてきました。

総合格闘技を始めます。

ジムが自転車で通える距離なのでほぼ毎日通いました。

もともと格闘技が好きだったのでミット打ちとか関節技の練習とか楽しいんです。

 

見事社会復帰

うつのまま一生を過ごす人もいます。

5年で復帰できてほんとよかった。

うつを抜け出せた要因は2つあります。

 

将来の自分にうんざりした

年取ってまで引きこもってる自分がホントに許せなかったんです。

絶対になりたくないって思いが一歩を踏み出すパワーになりました。

 

運動

だいちゃろうは総合格闘技をやりましたが要はスポーツなどで汗をかくことです。

自己啓発で知ったことですが、体を動かすと心も動きます。

 

もう動けないってほどスポーツをしたあとってヘロヘロになります。

でも、なぜか気持ちがよくって前向きになってますよね。

体と心ってつながってるんです。

 

気が向いたら腕立て伏せ

今でもうつうつとした気分になることはあります。

そんなときはとりあえず腕立てをするんです。

1回すれば2回3回と続きます。

10回もやれば十分。

むしろ10回もやったんだからすごい。

 

気持ちが少し上向いている。

そしたらもう10回やる。

もう10回やる。

 

気づいたら部屋のそうじしてたり外に郵便出しに行ったりしてます。

ただ無理にはしません。

だらだらしたいときはだらだらするのが一番ですから。

 

仕事は自分のペースでできる配送

 

人と接することも少ないしほぼ一人で気が楽です。

苦手なことでもがんばって高い給料をもらうより、安い給料でも気持ちに余裕を持てる仕事を選びました。

 

将来のことはわかりませんが細々と1日1日生きていきます。

 

では。

 

人のためなんか書けねえさ。ブログを書く目的を変更する。

ブログを書き始めて1か月。

もう書くことが苦痛でイヤだ。

何がイヤかと言うと、文章力がなさすぎて誰にも見せたくない。

読んでもらってなんぼのブログ。本末転倒です。

あまりにヘタクソでしょ。

小学生の作文みたいだし。

 

ここで方向転換をすることに決めた。

まずどっち方向に行くか書いていく。

 

 

今まで

30メートル手前から逆立ちしてスタート

見てもらうためのブログを見られないように書くとはアホすぎ。

Twitterなんかでブログ歴数か月で普通に読めるブログが書けるんだよみんな。

どうなってるの?

どう考えてもスタート位置が違うとしか思えない。

だいちゃろうは30メートル手前から逆立ちしてるんじゃないかな。

 

こんなんだからブログ続くわけがない。

 

「自分の自信のない人を笑顔にする」って決めた

こりゃイカンと思ってブログを書く目的を考えた。

「自分の自信のない人を笑顔にする」

これが考えた書く目的。

 

たいした目的ですよね。

だから気分が上向きになるようなこととか書こうと思った。

不安の原因とか調べて書いてたんだけど頭でっかちになって苦しくなって書けなくなった。

 

これから

目的変更。自分のために文章を書く

まだ文章が小1の夏休みなのに人のために記事を書くなんてできない。

そう思ったからまずは何でもいいから文章を書く。

今がそう。

 

ブログなのか記事なのか日記なのかなんでもいい。

とにかく書く。

どうせ誰も見ないから書くよ。

人のためじゃなくて自分のために書く

 

お手本読んで、思ったことを文字にする

当分の目的は思ったことを文字にして書けるようになること。

書いているうちに自分の書きやすいスタイルが見えてくるはず。

だから笑われてもいい。

 

それと、お手本になるブログを読むこと。

なんかいいなー、マネしたいなって思ったブログは読む。

 

自分を尖らせて突き出す

それとできるだけ普通のことは書かない。

誰でも書けるようなこと、既にどこかで書いてあることは書かない。

 

はみ出しちゃうようなことを書く。

常識外れだし頭おかしいかもしれないけど自分を尖らせて突き出すんだ。

 

 ってことでどうでもいいこと書いていきます。

んじゃ。